2014/08/09

 「使えない英語」の大量生産装置=大学受験  「使える英語」へ通じる風穴をあけるには・・・




 日本在住のまま、使える英語を作るのであれば、大学受験英語に「音づくり」を噛ませなければならない。

 日常会話で使われる文の文法が中学レベルのものが多いから、中学レベルの文法だけやればいいという説があるが、そんなわけにはいかない。大学受験レベルのものに「音づくり」を噛ませる必要がある。

 中学レベルの文法もものにしてない人が、しゃべり始めるわけはないというのなら確かなことだ。だから、中学の文法が絶対に心要なものだというのはその通りである。

 日本在住のままで英語をしゃべり始める少数の人たちがいる。その人たちは、実はかなり高度な単語や文法をものにしてある。読みのレベルで高度なものを持っていて、ようやく中学レベルの文がしゃべり言葉として動き出すのだと考えた方がいい。

 多くの人が誤解している。
 学校のテストで点が取れることが、文法をものにしていることだと思ってしまうのだ。そんなことはない。そんなことは学校制度の人だましだ。

 テストで点が取れることは、文法を「知識として理解している」ということではあるけれど、「文法が感覚になっている」ということとは全然違うことなのである。「文法が感覚になっている」のでなければ、「使える英語」にはならない。
 多くの人が、「知識として理解している」だけだから、学校英語はほとんど使い物にならない。文法に関しては、そう言えば言い尽くせる。

 英文は紙の上では左から右に向かって単語が並ぶ。
 日本語と英語では、文のシンタックスが根底的に違うので、日本語で育った人には、視線を左から右への一方向に動かすだけで文意をつかむのが難しい。
 テストでは文が印刷されているものであることが多いし、目を右から左へ逆戻りさせ、文法の理屈を思い出し、英単語に相当する日本語単語を意識に呼び出して理解するというやり方でも点にはなる。

 点になるのはいいが、その「右から左へ逆戻り」させるやり方が癖になってしまった人は、まず使える英語を持つことはない。

 これを解決するためのポイントは三つほどある。

 1.リスニングの邪魔をしない程度の発音が作られること。
 2.文法が知識にとどまらず、感覚化されること。
 3.英単語が日本語を脱ぎ捨てて、イメージと一体化していること。

 「1」と「2」は素読舎のレッスンで扱える。
 「3」は生徒が自分でやるしかない。

 「1」の「発音が作られる」という言い方に奇異な感じを持たれる方が多いかもしれないが、言い間違えたわけではない。素読舎の「音づくり」は、絶えず文丸ごとの音づくりであるから、イントネーションまで含んだものである。個々の音の正誤だけを扱うものとは根本からして違う。それら丸ごとを「音づくり」と呼ぶならば、音は「作られる」のである。新たに「作られる」。相手が外国語なのだから、当然と言えば当然のことである。
 もちろん個々の音も扱うが、「音と音のぶつかり合いの処理」がわかり、そのことでまともなイントネーションが備わり、文まるごとがインプットされていく。素読舎の「音づくり」は、そのまま文のインプット法である。

 方法を身につけてもらって、実際の量をかせぐのは、本人にやってもらうしかない。何度も言ってきたことだが、語学の90%以上は「自分ですること」なのである。

 「音づくり=インプット」の方法を持たずに、ただ量だけかせいだ場合、例の「使い物にならない学校英語」、「使い物にならない受験英語」になってしまう。

 まともな音でインプットしておかなければ、いくら大量に高度な文をインプットしても、元の木阿弥である。アウトプットした時に相手のストレスが大きいので、遠慮を美徳とする日本人は、次第に英語をしゃべらなくなっていく。音を軽視すると、多大な労力を注いだ英語がすみやかに錆び付いていく。
 この全体を放置してきたのが、文部科学省(国家)のていたらくなのである。語学的には犯罪に等しい。

 文丸ごとをまともなイントネーションで、個々の音の粒を確保した上で、インプットしてしまうことが「使える英語」の元を作るのに欠かせない。

 素読舎は「音づくり」を放置して、大学受験なら大学受験の、知識だけを扱うということはしない。まずは、「音づくり」が行われる。

 大学受験のための知識量はかなりな量になるので、1年で音と知識量を両立させることは不可能である。音づくりだけでも2年くらいはかかる。

 大学受験に「音づくり」を噛ませるには、高校3年になってからではすでに遅い。

 なんとかならないものか。
 大量の知識を、間違った音で扱っているのはとてつもない時間と労力の無駄なのである。

 駿台文庫「システム英単語」という受験参考書を眺めていて、これだな、と思ったことがあった。
 この本では、英単語とそれを含んだフレーズしか扱えない。
 本来の文丸ごとを使った「音づくり=インプット」ができない。

 しかし、一年で受験と「音づくり」を両立させるには、ひとまずこの本一冊をこなすことくらいしかないのではないか。生徒次第だとはいうものの。

 「使えない英語」の大量生産装置としての大学受験に「使える英語」へ通じる風穴をあけるには、それくらいしかないのではないか。

 とにかくせいいっぱいやってもらって、大学受験を通過してもらう。

 大学へ入ってから、「文丸ごとの音づくり=インプット量確保」を始めるしかない。
 一種の「やり直し英語」である。
 高校3年生や、受験浪人の人たちには、それを奨めるしかない。

 受験の前に一年しかないのでは、すでに遅いのだ。

 大学受験英語に「音づくり」を備え、「使える英語」にしようと思われる方は、「素読舎連絡専用掲示板」へハンドルネームを使ってお問い合わせ下さるか、メールでお問い合わせ下さい。

http://9310.teacup.com/sodokusharenraku/bbs?page=3&

sodokusha@gmail.com

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