2019/02/18




 素読を知るためのネット塾
   (「ことば塾」のお知らせ)



 長野県千曲市にある素読舎は、素読について考えてきた塾です。
 素読を原理とする練習法を編み、語学に応用し、英語を長年扱ってきました。
 初めは、高校入試・大学入試用の塾でしたが、実際に仕事で英語を必要とする社会人の方々も使う塾になりました。
 最近、地元の書店に行き、昔から世話になっている店主と話しているときに、店主は「今の子供たちの言葉の力がひどく弱体化している」と嘆きました。その嘆きは、英語の塾をやってきて私が感じていたことと同じものでした。「日本語がこの状態で、英語どころではない」と思ったことが何度もあります。
 店主は「国語力」が駄目になっているのだと言っていましたが、私は「国語力」という言葉では考えていません。国語力というと、テストの国語の問題で点がとれる力のことと思ってしまう人が多いでしょう。もちろん、その意味での「国語力」と「言葉の力」とは重なる部分がありますが、書店の店主が言いたいことも、私が感じつづけてきたものも、端的に「言葉の力」と呼ぶ方がいいと考え、「ことば塾」という名称を思いました。この名称でネット上で塾をやってみようかと思ったということです。まずは数人の生徒を募集してみようかと考えています。

 素読舎の名前でやってきた英語の塾は、これまで通り有料の塾として継続するとして、新たに枝を生やす塾=「ことば塾」は、生徒さん側から、素読舎側から、という双方からの「喜捨」でやりたいと思いました。詳細は後で説明いたします。

 素読は論語などの言葉を身体化するために、江戸時代にさかんに使われた学習方法です。学校制度ができた明治時代以降、かなり弱体化しました。昭和の前半では、子供に歴代天皇の名前を暗誦させるときに、「素読を原理とする方法」が学校で使われました。学校の教室ですから、実際は斉唱だったでしょう。しかし、これも原理は素読にあります。太平洋戦争の後は、アメリカ軍が日本の封建制に発するものに目を光らせたせいか、戦後民主主義の人たちが英米に手放しであこがれたせいかわかりませんが、素読は古い駄目なものとして、歴史のゴミ箱に捨てられました。
 江戸幕府の体制を強化するために素読が使われたり、天皇の名前を子供の体に叩き込むことに使われたりした歴史が確かにあります。どちらも体制強化のために使われたので、戦後は素読そのものが悪者扱いされました。政治を離れて見れば、学習法としての素読そのものが悪いものであるはずはないのですが、素読はゴミ箱行きの悪者として扱われたのです。
 素読を政治から引き剥がし、学習法として、人々の手に奪いかえすことはできないのかという考えは、私が大学を卒業してから始めた塾に「素読舎」という名を冠したときからありました。それから五十年近く経ちますが、政治から「独立」させても、素読は十分に有効であり、学習法として威力を持つことを知ることができました。数学の計算練習などに素読は使えませんが、その他の教科には広く使うことができます。あらゆる教科が「ことば」の上に成り立っているものだからです。
 素読を語学の学習法として生かす方法を探究してきた塾が「素読舎」です。
 書店主と話してから考えたことは、いったん語学を離れて、まずは小学校の教科を扱うことで、「ことばの力」そのものを強めることを主眼とした塾を始めることでした。募集できる生徒数は多くありませんが始めたいと思います。

「ことば塾」運営方法は以下のようになります。

レッスン日・時間帯  週一回三十分。(方法を伝えます。練習の主体は、
           普段の自習です。

媒体  インターネットにつながっているパソコン。
レッスン用媒体  電話、携帯電話、スマートフォン、スカイプ、ライン
         などのうち、どれか一つ。

対象  小学生

形態  一対一のレッスン
 
テキスト  全教科(各教科の素読による攻め方) 
      算数の計算は扱えません。文章題は扱えます。
      「ことば塾」で作成したテキスト。
      生徒側で持ち込むこともできます。
       (コピーまたは本を送っていただきます)

費用  随意(「ことば塾」への喜捨)

 (金額は「ことば塾」側で決めません。レッスンを使ってみて、生徒さんの家庭で決めていただけば結構です。経済的に余裕がない場合、出していただく必要はありません。出せるようになったら出していただくことで結構です。)

連絡先  090-4181-5912

 長野県千曲市鋳物師屋642-3
 素読舎・根石吉久

※ 書き漏らしたものがあるかもしれませんので、お気軽に上記電話番号にお問い合わせください。