2015/05/05

英検準1級合格お祝いインタビュー

英検準1級合格お祝いインタビュー


出席者

   高校1年生K(長野県)
  根石吉久(素読舎)
  小川住江(素読舎奈良分室)


根石 あ、俺、録音機のスイッチ入れるの忘れてたわ。今までの録音されてねえや。今、あわててスイッチ入れたけど、やべえな。(笑)
小川 高校生なら語彙を相当強化しないと、英検準1級合格は無理だと思うんです。
根石 小川さんに教えてもらって、ネットに掲載されてる準1級の問題見てみたんですが、普通の高1の生徒はまず合格できないですよ。
小川 1級だったら TIME とか、ああいう雑誌を読まないと追いつかないですし、準1級でも相当語彙はやっとかないと。
根石 ええと、録音してなかったところができちゃったんで、しゃべってもらったのを、今ちょっとメモしなくちゃなんないんだけど、K君は3,4歳の頃に白人の女の人が先生をやってた幼児英会話みたいな教室に行ってたと。小学校2年生の時に、Mコーチのところで素読舎の練習を始めたと。中学は××校で寮に入ってたと。土曜日に素読舎の「スカイプでレッスン」をやってたっていうのは、中学の時からずっとやってたの?
 そうだったと思います。
根石 その他に、Mの塾に寄れるときは金曜日に寄ってたと。
 はい。
根石 小学校5年生の時から、素読舎の「スカイプでレッスン」を使ってくれていて、今、小学校6年生の女の子の生徒がいるんだけども、そのお父さんが、昔やっぱり素読舎を使ってくれてた。娘さんの方が、最近、英検4級に合格した。K君の場合は、どうだったのかな。4級くらいから受けてたのかな。
 小学校の時に一回受けたことがあるような気がしますが、4級だったかどうか。
根石 さっきの小学校6年生の女の子のお父さんが、去年の暮にうちへ寄ってくれたんだけど、その時、お父さんに、英検を受験するなら1級までとっちゃうべきだと言ったんだ。ツブシが効くのは1級だけだよって言ったんだ。K君が準1級に受かったと話してくれたときに、準1級まで合格したんなら、1級は絶対に取っちゃった方がいいぜって言ったら、そんなに熱心に英検をやる気はないっていうような返事だった。準1まで受かっておいて、1級をとらねえテはねえよって、俺はそう思ってるんだけど・・・
小川 そうですよね。
根石 うん。だからそのへんを、1級を持ってる小川さんからこんこんと言ってきかせてもらって・・・(笑)
小川 文部科学省が言ってるんだと思いますが、高校の先生たちは準1級を取りましょうとか言われているんです。それが取れてる先生は3割くらいだと言われているんです。だけど準1級だと、学校の先生はともかく、世間では仕事できないんです。
 はあ。
小川 準1までは仕事ができるような英語ではないんですね。1級なら十分かと言えば、そうとも限らないんです。英語で仕事ができるというレベルでは、最低で英検1級ですね。1級を持って、それが入口だと思った方がいいんです。準1級と1級だと、二次試験も全然違うんです。準1級だったら4コマまんがのストーリーをしゃべるとか、その程度でしょう?
 はい。
小川 1級になると、テーマを与えられて、2分とか3分で自分の考えを言わなきゃならないんです。その後に、質疑応答があって、まあ難しい内容ですよね。私の時だったら、インターネットビジネスについてどう思うかとかね、小学校から英語を導入することについてはあなたはどう考えるかとか、少年法改正についてどう思うかとか、そんな感じのものですよね。だから、それぞれについて賛成の意見と反対の意見の両方を知っておかなければならないし、自分のスピーチに対して突っ込まれたら、言い返す力もなければいけないし。高一で準1級っていうのは本当に立派なんですけど、そこでやめちゃうと中途半端ですね。1級とってようやく、大人の英語の入口と思ってた方がいいですよ。
 なるほど。ありがとうございます。
小川 準1級だと、海外転勤で外国へ行ってもなかなか仕事ができないですよね。1級ならできるとは言わないですけど。
 うちの高校で、在学中に1級取ったのが一人だったか二人だったかいるんですが、推薦入学とか、そういうことのために取ったとか聞いています。
小川 一芸入学とかできる大学ってありましたですものね。今でもあるのかどうか知りませんけども。
 うちの高校の先生によると、推薦入学で大学に入るんじゃなかったら、他の科目とのバランスもあるから、1級は大学に入ってから取るんでいいんじゃないかと・・・。
根石 ああ、そういうことか。それなら、それでいいんだ。もし高校にいるうちに1級取っちゃえば、そりゃあ、いい宣伝材料になるから、俺はうれしいけどさ(笑)。他の科目とのバランスを考えて、高校にいるうちは1級はやめといて、大学に入ってから取るっていうんなら、それでもちろんいいさ。だけど、準1級でやめちゃうってのはねえぜっていうことさ。じゃあ、1級を頑張らない(笑)ってのは、高校のうちはってことで、大学に入ったら頑張ると。
 はい。
根石 それならいいや。大学にいる間でも、社会人になってからでもいいんだけど、社会人になったら、なかなか英語の勉強なんかする時間が取れないからね。大学にいる間がいいな。
 はあ。
根石 社会人になると、ほとんどの人の場合、がらっと変わっちゃうからね。なかなか英語をやる時間なんか取れなくなる。だから、大学にいる間にっていうのが一番いいんじゃないかな。
小川 勉強する時間が取れますもんね。
根石 うん。
 そうですね。
小川 私は2000年に1級を取ったんですけど、その頃は発音のチェックがなかったんですね。一緒に勉強して同期で合格した人たちには、発音の悪い人がいっぱいいるんですよね。最近は、発音をすごく重視してますし、発音をチェックしてますから、やっぱり素読舎でやってたら強いと思う。
 なるほど。
小川 素読舎の練習やってきて、英検の読解が楽だったことないですか。
 読解ですか?
小川 うん。逆戻りしないで、頭から読んでいけるとか・・・
 ああ、それはそうでしたね。準1でも、単語さえ押さえておけば、読むのは楽でしたね。
小川 私は1級を取ってから素読舎へ入ったんですけど、読解は確実によくなってるんです。素読舎の「イメージ核受肉教材」っていうのをずっとやってきて、Mさんと「自律練習」っていうのも続けてきたんですけど、なんていうのかな、どう言ったらいいのかな、頭から読んで逆戻りしないメカニズムができたというか。そういう訓練は英検1級受けるときもサイトトランスレーションっていうので、やったんですけど、素読舎のはそれとは別で、塊で入ってくるじゃないですか。
 はい。
小川 だから、読解はほんとに伸びたと思ってます。
根石 それは TIME 購読の教室に通うよりも、素読舎の練習の方がよかったということですか。
小川 はい、もちろんそうです。特に「イメージ核受肉教材」の後の方になると、長い文章がありますよね。
根石 うん。
小川 4語、5語、6語程度の短い文だったら、それがそのまま塊でわかるし、入ってきますけども、関係代名詞なんかでつながる長い文章になると、なんていうかな・・・
根石 逆戻りする・・・
小川 逆戻りする癖は残っていたんですね。
根石 うん。
小川 サイトトランスレーションていうのは、ぶちぶちに切って読むんですよ。小さな意味の塊で切るんですよ。
根石 その切れ目の数が少なくなったってこと?
小川 そうです、そうです。すごく少なくなったというのと、ちゃんと大きめな意味の切れ目で切るようになったというのと。それに、わからない文章があったら、まず音読してみるっていうのが癖になりましたね。10回くらい読んでみると、意味の切れ目が見えてくるんですよ。素読舎のレッスンは、リスニングが伸びるというのはよく生徒さんが言われますけど、もうひとつ読解が伸びるんですよ。
根石 うーんと、文の音を文字に直せば、文字は左から右に進むだけですわね。
小川 はい。
根石 ところが、素読舎のやり方は、同じ文を繰り返すから、文の最後でピリオドにぶつかると、読みは頭に戻る。意味の流れが逆流を起こす必要がなくなるんですね。また同じところへ何度でも回帰してくるから。もし逆流を起こしても、それが瞬間化するんですね。文の途中で目を右から左へ戻すんじゃないんです。そういうことはなくなるけれども、意識が逆流をまったく起こさないかっていえば、起こすわけです。日本人だから。
小川 ああ、はいはいはいはい。
根石 日本人だから、意識で逆流を起こすけども、何度も同じ文を読むから、逆流が瞬間化する。目で字を左へたどるってことはする必要はなくなる。文の右へ行けないで止まる瞬間があっても、それは瞬間で、またすぐ右へ行く動きに乗れるようになる。読みが同じところへ何度でも回帰するので、文の途中で目を逆戻りさせる必要はない。さっきわかんないところがあったなっていう場合でも、読みは切れないで、文の最後まで行き、また同じ文の頭に回帰して、新たに読みが始まって、さっきわかんなかったところにまた出会う。何回目かにわかったぞという場合に、英語の語順が壊されることはないわけです。その時には、意識で瞬間化された逆流が、さらに瞬間化されて、もう逆流ではなくなっちゃう。英語の語順のままで読めてるよ、ってことになっちゃう。
小川 ぶん回すというか、やるじゃないですか。その時に、目にも止まらぬ速さで逆流してるかもしれないですね。
根石 ああ、その、瞬間化したっていう場合の瞬間てのは、1秒なんて時間がとてつもなく長く感じられるくらいの時間ですよ。
小川 そうですよね。
根石 逆流に始末をつける一瞬てのは、1秒がひどく長く感じるくらいの短い一瞬ですよ。そういう一瞬を作ることに慣れちゃうと、まったく逆流を起こさないで読めてるって状態になっちゃうわけです。そういう状態になる前は、そりゃあ、意識は逆流を起こしますよ。日本語で育ってるんだから。K君、言ってることはわかるかなあ。
 一応、ついていってます。(笑)
根石 うん。話を前に戻すけど、準1級に受かったときの話で、英語を使う仕事につく気はないようなことも言っていたような気がするんだけど、今、それ、そう思い描いた通りにならないことがあるからね。例えばさ、日本国内だけで仕事できたのの代表格っていえば、建設業だよ、建設業っていうかゼネコンだよな。今、ゼネコンあたりが海外へ出てってるからねえ。工業製品の生産拠点だけじゃねえんだよな。例えば、バンコクでマンション建てるなんて場合に、動いてるのは何のことはねえ、日本の土建屋じゃねえかってことがある。土建屋は国内だけでもうけてるのの代表格だったんだよ。だからわかんねえよなあ。僕は英語なんか使うつもりはなくてこの会社へ入ったんですなんて言ってたって、お前来月から2年ばかりバンコクへ行ってこいとか、ハノイへ行ってこいとか、ありうるぜって思ってた方がいい。小川さんの言い方を借りれば、ひとまず英検1級合格を入口くらいに考えるのがいいと思うよ。まあ、俺が昔から言ってる言い方で言えば、英検でツブシが効くのは1級だけだぜっていうのも繰り返し言っておきたいよ。小川さんの場合でも、京都新聞がやってる英語教室の講師に採用された時でも、英検1級持ってるってのが決め手だったわけでしょ。履歴書にそういうふうに書いてあるっていうのが決めてだったんでしょ?
小川 そうです。それと通訳ガイド資格ですね。
根石 ああ、そうですね。
小川 だから、準1級だと、世間では英語学習中の人っていうふうにしか見ないんですね。
 へええ。
小川 1級だと、プロだと見てくれるんですね。
根石 俺は英検の級は3級も持ってないんだけど、英検は一回も受けたことないんで(笑)。そういう人間で、しかも普段は日本語しかしゃべってない。Uなんかが、福島の原発事故があって、オーストリアに帰っちゃって、アメリカに帰らないで、いよいよふるさとに帰っちゃったんで、あいつがいなければ、普段英語なんかしゃべる友達もいないから、しゃべる必要もない。もうまったく日本語だけで生きてる。そういうところから見ると、毎日仕事で英語を使ってる人は、俺なんかくらべものにならないくらい、はるかにしゃべるわけね。毎日使うことで、レベルは上がっていくしね。逆に、俺みたいに、使わないでいれば、しゃべることなんかは急速に錆び付くわけだね。例文の回転読みなんかやって錆び付いてくるのを防いではいるけどさ。そんで、準1級の人が1級取る時は、錆び付かせるわけにはいかない(笑)。俺、英検の級を持ってない者として、なんとなく勘で言うんですけど、英検の準1級の人が1級を取るときに使うエネルギー量ってのは、それまでに使ったエネルギー量ね、4級取った時、3級取った時、準2級とか2級とか、それぞれに使ったエネルギーってあるじゃないですか。
小川 はい。
根石 準1級の人が1級を取るのに必要なエネルギー量って、準1級までの全エネルギー量と同じくらいか、もっと多いんじゃねえかなって。
小川 そう思います。私が準1級を取った時っていうのは、英語塾で働いてました。高校生なんかも教えていたんです。準1級は受験勉強はしなくても一発合格できたんです。だけど、1級はものすごく苦しかったです。
根石 準1級から1年で1級に通ったんでしたっけ。
小川 1年に3回受験できますから、準1級を通った翌年の3回目の試験で通ったんです。ぎりぎり1年で通りましたが、苦しかったです。
 どういう勉強してたんですか。
小川 語彙は、その時は「パス単」を使ってなかったんですけど、英検準1級の単語集と、1級の単語集と両方使ってやったんですね。辞書を使って、覚えようとしてる単語が入ってる例文をいくつかノートに書き移して、音読したり覚えたりしましたね。同じ単語の類義語とか同義語とかも調べて、そっちの例文も書き写して、音読したり覚えたりしたんですね。その準1と1級の単語のリストは2千語でしたかね。
根石 両方で?
小川 両方でですね。???で出してる本で、千語と千語で両方やったんですね。準1の単語でも洩れてるものがあると通らないと思って。
根石 そりゃそうだ。
小川 ええ。それで2千語やって、それをやりながら TIME
の講読の教室へ行って、覚えた単語に実際の文の中で出会うことで根付かせるってことをやりました。その他に、CNN の English Express っていう雑誌があるでしょ。知りません?
 聞いたことはあります。
小川 その雑誌にはCDが付いているので、CDを使ってリスニングの練習をしましたね。ディクテーションしたり。
 うん。はい。
小川 逐次通訳の練習したりもしました。昼間仕事して、家に帰ってくると主婦ですから、ほんと苦しかったです。ほとんどユンケルロイヤル飲みながらやったんですね。血尿出るかと思った(笑)。
 準1を受けるのに、自分はあんまり勉強しなかったんですけど・・・
根石 素読舎のやり方で自分で練習したものが、そこまで行っちゃっていたってことだよ。
 高校の授業かなって思ってたんですけど。
根石 材料としてはそうだな。英字新聞とかね。それはもちろんそうだ。そのレベルの教材を相手にした時には、問題は消化力だよ。その授業受けてたのはK君だけじゃないだろう。俺は消化不良を起こしている生徒は少なくないと思っているよ。どこの高校でもそうだ。これねえ、はっきり言わせてもらうけど、世間の一流高校なんて言われてる高校では、どこでも起こっていることだ。昔の一流高校でも、新興の私立でもどこでも同じだよ。教材だけは、高度なものを大量に扱わせる。だけど、それで消化不良を起こしたんじゃ、実質は生徒の側に惨めさがあるだけだ。その惨めさという網にK君がひっかからなかったのは、消化力だよ。K君の探求心や、前に進もうとする意欲が根源だが、それを消化力にしたのは素読舎の方法なんだって、もうはっきりと言わせてもらう。K君は、おそらく学年でもトップだろう?
 ええと、考査の前の勉強はあんまりまじめにやんないので・・・
根石 ああ、いいこと、いいこと。それはとってもいいことだよ。
小川 (笑)
 だから、3位くらいなんですけど。
根石 いいことだよ。
 模試はけっこういいんですけど・・・
根石 そうそう。学校の外側の試験だと、明らかに上に出るわけだよね。成績じゃなくて実力だね。実力でトップでいいんだよ。成績なんか糞くらえだとまでは言わないけど(笑)、K君は成績がよくて実力がないというタイプではない。それがいいことだ。実力があれば、それでいいんだよ。ところが、今の時代はさ、成績がよくて実は実力がないっていうタイプが量産されてる。ろくでもねえよ。頭のいい馬鹿っていっぱいいるからな、今の時代。(笑)
 単語は高校の授業が役に立ったと思っているんですけど・・・
根石 そうそうそう。単語なんかは、どこに転がってるのでもいいんだけど、問題はさ、実際さ、単語をどうやって覚えてる?
 まず文章の中の覚えてない単語をリストアップして、B5の紙を縦半分に折って・・・
根石 ああ、そりゃ「シート」だ。俺の塾の昔の呼び名で言うと「シート」だ。今は「電圧装置」って言ってるやつだ。そのやり方はMに教わったんかね?
 そうですね。
根石 B5のレポート用紙を縦半分に折るわけね。
 はい。
根石 その場合、左側に日本語を書く。
 はい。右側ですけど。
根石 それは右でも左でもいいけどさ。どうせ折って、英単語が見えなくなればいいんだから。うーんと、そこからの話だ。そこからどうやってる?
 文章を読んで、学校で最後にやる単語テストみたいなもので、たいていは定着するんですけど・・・
根石 うーん。「電圧装置」は俺が考え出したんだけど、さっきのUだな。やつと話してたら、えーと、何て言ってたっけかな、忘れちゃった。なんとかシステムとか、ああ、ハーフ・シート・システムって言ってたな。ヨーロッパには、そのやり方があるんだね。みんなが普通にやってるみたいな話だったんだ。だけど、俺は自分で考え出したもんだから、今でも俺の考案だと思ってるけどね(笑)。そんでね、問題は「瞬間化」なんだよ。
 ああ、イメージがですか。
根石 そうそう。イメージになってないと「瞬間化」が起こらない。
 そうですね。
根石 一枚の紙に書ける単語の数って、13個から15個ぐらいのもんでしょ? 見やすいように、単語と単語の間を一行空けて書けば・・・
 そうですね。
根石 この「電圧装置」ってのは、一枚の紙に書き込んだら、別の紙で「言いながら書きながら思う」っていう下準備をするんだ。それをやってから、レポート用紙を二つ折りにして、日本語を見て英単語を「回答」してくわけね。そんときに、最初の単語から最後の単語まで、手がまったく止まらずにたてつづけに「回答」できちゃうってレベルになるまで、「言いながら書きながら思う」っていう下準備をやっとくわけさ。そんで、「思う」っていうところで、英語の音や綴りをイメージとしっかり合体させてないと、そんな具合にダーッと立て続けに回答して手が止まらないって具合にはならない。逆にそれができてる時は、日本語を見てるときでも、英単語と一体化したイメージが動いてるわけだ。イメージが「瞬間化」できてるというのは、日本語の単語が、瞬間的に英単語のイメージになるってことだ。立て続けに「回答」できて手が止まらないっていうのは、それぞれの英単語をイメージ化してないとできないんだよ。
 うん。
根石 何と言うかな。日本語の単語を見てるからっていって、日本語の単語やそのイメージを頼りにしてたんじゃ駄目なんだ。日本語の単語は、英単語のイメージを自分の中に生じさせるための、ほんのきっかけとして使うだけなんだ。で、そこまでやった?
 うーん。普段は時間がもったいないので、ペンを持って机に向かってっていうことはやらないんですよ。電車で移動中とか、そういう時にやるんですけど。
根石 それ、どうなんだろう。手で書いてやると、手が途中で止まるか止まらないかがはっきりするんだよな。
小川 脳にウェルニッケ野だったか、ウェルニッケ中枢だったかいうのがあるんですって。口で言ったのを字で書くとね、その中枢のところを信号が通過して定着が早いんですって。
根石 だと思いますね。
 えーっと、定着してるかどうかのテストがあると、「言いながら書きながら」っていうのをやっていますけど。
根石 1枚のシートを作ったときに、いきなりそれやっちゃえばいいんだよ。手が全然止まらずに、最初の単語から最後の単語まで立て続けに「回答」できるってので、最低レベルのイメージ化ができてるのかどうか確認できるからね。それでしばらく放っておいて、3枚一度に立て続けに回答できるようにしちゃうとか、記憶のレベルを上げることもできるしね。そんで、ちょっと違う話だけど、一枚の紙に一つだけなら、間違いがあってもいいってことにしちゃうの。
 はあ。
根石 定着しないものや、定着しにくいものはどうするっていう場合、そういうのを見つけたら、それを新しいシートに書き込む。1枚の紙に「間違い」が二つも三つもあるのを自分に許しちゃ駄目だ。3枚一度にやるんなら、全体から3つまでは許容範囲だな。許容数は1枚あたりでひとつだけって決めちゃう。1枚で二つも三つも「間違い」や手が止まるってことがある場合は、「言いながら書きながら思う」の練習が足りないわけだから、心を鬼にして、「言いながら書きながら思う」をやり直す。徹底的にやり直す。それで、もう一度、レポート用紙二つ折り、立て続けに書けて間違いゼロにしちゃう。その方がいいんじゃないかな。書いたからって、そんなにやたら時間がとられやしないぞ。それと、音とスペリングとイメージを書くことで一体化した場合、忘れるのが遅い。一度覚えたものが長持ちする。
 一番時間がかかるのは、「言いながら書きながら思う」なんで、それをやってる時に肝心なのは、「強度」だ。イメージの強度だね。それを作るのは、時間がかかってもきっちりやった方がいいんじゃないかな。目と脳だけでやるのと、どっちが早道かなあと思うんだわ。手も口も使って、手や口の動きにイメージを溶け込ませるというか、手や口の動きとイメージを一体化させるっていう方が、忘れるスピードに歯止めをかけるから、最終的にはそっちの方が早道なんじゃないかな。そういう「急がば回れ」はあるような気がする。手や口の動きとイメージを一体化させることだって、そのこと自体が上達するよ。うまくなればなるほど時間はかからなくなってくる。10回も言ったり書いたりすれば、ひとまず定着ってところに持ち込めるようになる。あたまの中をぐちゃぐちゃさせてるより、その方がいいはずだ。それは、「言いながら書きながら思う」っていうやり方自体に上達するってことがあるからだし、忘れることを食い止めることまで考えれば、いわゆる「急がば回れ」になると思うんだ。それとね、何をやるんでもいいけど、問題集を解くとか、学校の授業で使う教科書の文を読むんでも、英字新聞を読むんでもいいけど、そういうことをやっている時に、これは知らねえなとか、これは見たことがあるけど、俺の中に定着してねえなとか、そういうのをピックアップして、「電圧装置」に書き込むってのが基本だな。その方が有機的だわ。単語をまた文に戻せるから。
小川 文脈の中に単語を置くと、イメージがとらえやすいってことはありますね。
根石 うん、そうそう。
 あのう、準1の時に、先に受けた友達から、単語がやばいって言われたんで、準1の教本をやったんですよ。
根石 うん。
 やったんですけど、教本の単語が出ないんですよね。だったら、教本を出す意味があるのかと思ったんですけど。
小川 だから私、同義語とか類義語とかもやったんですよ。そうやって幅を広げておくと、やっぱり読んでたりすると出てくるんですよ。名前だけ知ってた人に実際に会ったりすると、もっと親しみが湧くみたいに、その単語が定着してくるんですよ。それと、やっぱり、文章ごと覚えないと、面接の時に、その単語を使わなくちゃならないから、語法ごと覚える必要があるんですよ。根石さんが言われるように、読み物をたくさん読んで、そこに出てくる単語を集めて覚えるっていうのは、イメージがはっきりするっていうのはその通りなんですが、受験ということを考えたら効率が悪いじゃないですか。類義語、同義語で単語を漁るっていうのは、効率のためですね。準1と1級の単語集ってのは、類義語、同義語を漁るための元にしてただけですね。教本は、単語のことだけで言えば、そこに出てくる単語を覚えたからといって、それが試験のときに出てくるとは限らないですよね。
 なるほど。
小川 私のやり方の場合だったら、2千語やったとしても、もっと増えるでしょうね。3千くらいとか。
根石 いやあ、3千てことはないでしょ。もっと増えるでしょう。
小川 もっと増えるかもしれないですね。それと、コロケーションてあるでしょ。この単語は体のことを言うのには使わないとかね、そういうのも、文ごと覚えるとわかってくるから。
 はい。
根石 たとえ文まるごとで覚えても、まだ無機的なんですよね。だけど、まったく違う文でまた出会うと、イメージの襞がわかるというか、細かいところが感じられるってことが起こる。その過程がイメージの核が確かになっていく過程なんです。イメージの核っていうのは、概念的に記述できない。それは生きてる人間の意識に感じられているっていう形以外に存在できない。それは、しかも、育っていくものであるし、変容するものでもあるし、確かなものになっていくものでもあるし・・・
小川 ああ、そうです、そうです。
根石 だから、単語を覚えるっていうのは、そういうプロセス全体から見れば、入口というか、そういうプロセスが始まることを可能にするきっかけに過ぎないというか。
小川 名簿でしか知らなかった人が、道で会ったりして話をしたら、ああ、こんな感じの人やったんやって、新しいことがわかるとか、そんな感じですよね。
根石 うん。「なじみ」の度合いが変わるんだよね。それと、英単語をイメージにするってことを強引にやったとしても、強引に作ったイメージが、それで本当にいいんかって問題はあるんです。だって、初心者や中級者の場合、イメージは日本語の単語を媒介にして作りますからね。それで、このイメージでいいんだとか、ちょっと違うなっていうことは、日本に住んでる場合は、練習用の別の文の中でまた出会うっていうことでしか確かめようがないですよ。生活の中で確かになっていくってことはないですから。英語の「磁場」でだったら、言葉の当事者になるから、この種の状況でこの単語ってこう使うのかっていうのが意識に刻まれる。状況込みだから、一種の身体感覚みたいなのが刻まれる。日本にいて英語をやっても、それはない。どんなに激しく語学をやってもそれはないんです。日本にいて日本語で生活しながらだったら、最初に強引にイメージにしちゃうってことは、誤差を含むことをおそれずに、机上で絶対にやる必要があるってことです。誤差を含んでいたっていいんです。別の文で同じ単語に出会って、イメージは深まったり変容したりして、イメージとして純粋化する。最初に誤差を含むことなんか恐れる必要はない。たとえ間違ってたって、イメージをはっきり作らないと何も始まらない。
 英単語と日本語単語の両方を覚えるってやり方だと、イメージにするって作業をさぼって、イメージの代用品として、日本語単語を使ってるわけだけど、これが、多くの人が単語の覚え方として間違えてるところです。日本語単語そのものをイメージの代用品にしてちゃ駄目だってことです。イメージそのものを最初に作らなきゃ駄目です。日本語単語は、そのイメージを瞬時に誘発できるきっかけや目印に過ぎない。最終的には、日本語単語は脱ぎ捨てられて、英単語の音・綴りに触発されればイメージだけが動くようになる。
 練習のプロセスの最初で、英単語に対して日本語単語を対置するだけで、イメージを作らないというのが多くの人がやっているトンチンカンなんです。まあ、こういうのは一番話が伝わりにくいことなんですけど、練習している人には伝わりやすい。似たようなことやってない人には、話しても通じないことが多い。
小川 素読舎の方法でずっとやってきた人なら、単語のイメージを深めるというか、ふくらませることだけでやっていけるような気がするんですよ。英検にしても、他の勉強にしても。
根石 K君の場合は、学校の教科書とか学校で扱う英字新聞の記事とか、そういうのはどうせつきあわなきゃならないから、それを使うのがいいと思う。出てきた単語で知らないのは、片っ端から「電圧装置」に叩き込むのでいいと思う。それ以上のことをやる時は、小川さんのやり方だね、辞書を使って、類義語・同義語を含む文丸ごとを扱う。それがいいと思う。それで、また別の文を読むことで、単語のほんとの顔が少し見えてくるから。
 なるほど。
根石 だけど、もう一つあるんだね。あのさ、Mのとこでついちゃった悪い癖だわ。声を張り上げるというか、うなるというか。やたらに野太い声で喉を使う。このMの強烈な癖は、俺、Mをレッスンして直したんだ。それなのに、Mの生徒にはみっちりとその癖がついていて、なかなか取れない。今、通塾で来てる中学生も、喉でうなったり、声を張り上げるって癖が強烈に染みついてる。
 ・・・
根石 声をこもらせる人もいるけど、K君の場合はこもりはあまりない。だけど、声を張り上げる癖とうなっちゃう癖はかなり強く染みついちゃっているので、今、これを剥ぎ落としている。
 はい。
根石 最近よく出す指示で compact って言ってるじゃん。
 はい。
根石 たとえ話で言えば、でかいダンボール箱へ物をがさがさ入れといたのを、小さいダンボールへ移し変えると。きっちりと詰めなおしてコンパクトにする。文を繰り返し読むとか繰り返し言う場合では、口の動きが忙しくなるし、まともにやると口が痛くなる。口が痛くなるかい?
 なります。
根石 うん、それでいいんだ。compact って指示が出たら、喉から力を抜いて、まともに口を動かし続ける。例えば、舌が上の歯茎の裏にぶつかっているんだけど音にはならないっていう現象だね、気配はあるけど、空気を震わせる音にはならないっていうようなこと、そういうのも弱形の仲間だけど、そういう処理がやりやすくなる。
 あのさ、何と言えばいいんかな、カジュアル派とでも言えばいいんかな、例えば、really っていうときに、「リーリ」としか日本人の耳に聞こえないから、日本人もそう言って練習すればいいんだという人がいる。弱形の【逆さe】は言わなくていいというんだが、俺はそうは考えないんだ。「赤信号みんなで渡れば恐くない」ので、辞書でも「リーリ」は採用してるけど、ネイティヴのまあ、言ってみれば発音上の「おさぼり」が大手を振っているだけのことだ。俺は、イギリス発音とアメリカ発音の混在なんか全然かまわないと思うけど、語学の対象としての言語では、発音はなるべく原形に近いものを押さえるべきだと思うよ。練習では原形派であるべきだと思う。実際に使う時にカジュアル派になっていくのは、そりゃ構わないと思うけど。方言の発生プロセスと同じなんで、そりゃ発生していいっていうか、当然そうなっていく。だけど、練習で、最初からカジュアル方言でやる必要はないし、それやってたら、歯止めが効かない。どこまで崩れるかわからない。音なんかどこまでも崩れていく。あるいは、孤立した個人的な方言を作っちゃって、通じないってことになっちゃう。だって、really の【逆さe】を無視するってことにとどまらなくなる。r と l も同じ音として認識しちゃう日本人はいるから、全然通じない口の動きができちゃうってところまで崩しちゃうかもしれない。その危険が、カジュアル派にはいつでもあるんだ。できるのは孤立した方言だよ。通じないか、誤解を招くか、相手のストレスがでかいかってことになる。r と l の区別ができてて、使っているうちに弱形の【逆さe】がさらにどんどん弱くなっていって、自分の口の動きを通して、「リーリ」の音がなんで広く流通するようになったのかがわかってるっていうのが、まともな語学だと思ってるんだ。カジュアル派が、音の崩れを食い止められる基準を作ってくれるんなら話は別だけど、そんなごくろうなことをやる気は連中にはない。気楽で安直な連中がカジュアル派だ。自分の耳にこう聞こえるからそれでいいっていうんなら、音はどこでどう崩れるかわかんない。どこにもまともな基準てものがない。そんなことやってたら、過去形の ed の d 音なんかすっとんじゃうものがいくらでもある。英語ネイティヴの連中は、ed の d音を「黙音」としてちゃんと聴き取っていることを、カジュアル派はドブに流してしまう。それは語学の態度としては無知で傲慢なものだ。語学じゃなくて、赤ん坊がその言語で育つんなら話は別だ。語学には赤ん坊が知恵熱を出すほどの真剣さってのはないからね。赤ん坊にはそれがあるんだ。カジュアルの繰り返しから、無意識は原形音を抽出して、赤ん坊が大きくなっていくにつれて、無意識に原形音を保持したまま、日常的にはカジュアル音でしゃべるっていう複相構造が備わるようになる。日本の語学のカジュアル派は、その複相構造から、表面の薄っぺらな音だけ受け取っているだけになる。単層だ。語学に向かう態度としても薄っぺらだ。俺はカジュアル派には反対だ。10歳以後の口というか、語学をやる口は、赤ん坊が大きくなるにつれて備えていく複相構造そのものを備えることはない。赤ん坊にはできるけど、大人にはできないってことが絶対にあるんだ。だから、語学では原形でやるんでいい。辞書に載ってる発音記号でいい。それが、俺が発音記号派だということの根拠だな。
小川 この間テレビでやってましたけど、「アナと雪の女王」っていうのの主題歌があるでしょ。あれの中に let it go ってのがあって、日本人の人が「レリゴウ」と歌う人が多いってアメリカ人の人が言ってました。それはよくないっていう感じで言ってました。それも聞こえる通りに歌っているんだと思うんです。あくまで「レリゴウ」は「レリゴウ」で、let it go は let it go だということなんだと思います。アメリカ人の人は、その日番組で歌った人の発音を聞いて、ちゃんと let it go と聞こえましたって褒めていました。
根石 「レリゴウ」と聞こえるという人の「リ」が、まるきりの日本語の「リ」だったりするから、英語ネイティヴは耳障りなんでしょうかね。まあ、そのレベルならまだいいんですが、過去形の ed の黙音のすっとばしになると、ほんとに誤解の元になりますからね。カジュアル派の考えはそれを生みだしちゃいますよ。こういう話をしても、練習していない人には・・・
小川 わからない。
根石 わからないんだね。そういう問題に近いところまで練習やった人ならわかる。素読舎はかなり大事なものを発見してるんだけど、伝わらないんだね。英語やらなきゃ英語やらなきゃって人の数はやたら多いんだけどね、たいがいは的はずれなことやってる。まあ、テープ起こし大変になるから、このくらいにしとくかな。(笑)ああ、そうだ、どこまで名前出していいかな。名前というか、個人情報。
 ええっ。いやあ。イニシャルかな。
根石 名前はイニシャルね。わかった。今日はありがとう。
 ありがとうございました。
小川 ありがとうございました。

(2015年5月掲載。英検準1級のテストは2014年のもの)



2015/05/03

「音づくり」の完成形と、「切断読み」

掲示板「大風呂敷」から転写。
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「音づくり」の完成形と、「切断読み」
投稿者:根石吉久 投稿日:2015年 5月 3日(日)02時19分55秒 編集済

 音づくり」の完成形は、インプットのひとまずの完了を意味する。しかしそれは、音としての文の完成形であるに過ぎない。音にイメージがともなわない、音とイメージが分裂している、音が空っぽである等々のことが起こる。

 素読を原理とする方法では、これらの状態は、ひとまず、大きく肯定される。
 しかし、やることはあくまでも語学なので、あくまでも「ひとまず」肯定されるたけだ。

 語学においては、この状態が「故郷」である。一連のまともな音が安定していること、まともな音で同じ調子で繰り返せるようになること(「回転読み」)が、「故郷づくり」になる。

 「音づくり」が完成した音は、壊していい。ある合理的な方法で壊す。
 それが「切断読み」である。

 「切断読み」も同じ文を繰り返し読むが、音はぼそぼそ声でも構わない。何より大事なことは、口に出した単語、連語、語法などが、いつもイメージを再起させることである。初めのうちはごくゆっくり読むので、文はあちこちで、ブツ切れ状態になる。必ずイメージがともなうようにして読むので、そのようなブツ切れになる。
 イメージを生じさせるには、それ以前に一度は、語、語句、語法とイメージを合体させておかなければならない。そうでなければ生じるはずがない。イメージが生じるように準備しておくための練習が、「言いながら書きながら思う」である。(これについては別に書く)

 読むスピードをイメージが生じるスピードに従わせ、なるべくそのスピードに一致させるのである。
 少しずつ、イメージの再起が速くなる。かなりのスピードでイメージが動くようになってくれば、読みが「故郷」へ帰りつつあるのがわかるだろう。
 「音づくり」の完成形の速度に近づいてゆく。完成形と同じか、それにごく近いところまで口の動きが速くなっても、イメージがともなうなら、あるいは文全体でひとつのイメージが成り立つなら、それはすでに「使える英語」である。あるいは、少なくとも、そのパーツである。

 「切断読み」を始める前に、帰りつくべきところをちゃんと作っておくために、「音づくり」の完成形というものが必要なのである。この完成形が、発音上まともな音であればあるほど通じやすい英語になるし、安定していればいるほど、「切断読み」で文の血の流れがよくなる。

 「音づくり」の完成形の質が悪ければ、イメージは流れにくくなり、文の血の流れは悪くなる。だからこそ、素読舎の「音づくり」は、口やかましいのだ。

 そのうちにレッスンで、一つの文を選び、その文に含まれる単語その他について「言いながら書きながら思う」をやっておくように指示を出そうかと考えている。それをやっておいてくれれば、「切断読み」で、語その他とイメージが合体した声かどうかを私が判断し、それでいいとか、違うとか言うことができるようになる。
 (しかしこの時、やたら芝居のうまい生徒がいると、このレッスンは成り立たなくなる。芝居のうまい生徒は、どうかレッスンではその能力を封じてもらいたい。)

 気がつかれた人はどれほどもいないと思うが、「語その他とイメージが合体した声かどうかを私が判断し」と、私は書いた。私はいつも「音」のことばかり言っているが、ここでは「声」と書いた。

 イメージがともなうものは、すでに「音」ではなく「声」なのである。

 音ではなく声にするところまでは、「磁場」を欠いた語学ででもできる。
 その声が、「磁場」で、具体的な状況や具体的な人や、その人の感情や思考と交流し始める基体だ。