2019/12/19

学校は英語から手を引くがいい


学校は英語から手を引くがいい


 素読舎のレッスンでは、英文まるごとの部分は、一息で何度もその英文を繰り返す。
 練習の初期では、それぞれの生徒の地声で読むのを肯定するが、そうすると喉で声を張り上げた読みが現れてくる。日本語の音は「子音+母音」でできており、母音は喉を鳴らす音なので、日本語をしゃべるときはいつも喉が鳴っている。日本人にとってはそれが自然であり、そんなことをいちいち意識している人はいない。しかし、それが体にしみついている人(日本語で育った人)は、英文を繰り返し読むと、日本語を「朗読」するように、喉を鳴らし、声を張り上げるような読み方になる。
 少し練習が進んだ頃、「声の張り上げ」、「喉の鳴らし過ぎ」を注意するようになる。
英語には、まったく喉を使わない音が絶えず混ざることを言う。これについては、すぐ理解できなくてもかまわない。まったく喉を使わない音がうまく出るようになれば、納得できるようになる。まったく喉を使わない音とは、「澄んだ子音」と呼ばれているもので、s, t, f, などがそうだが、これらはくっついた口の部位が急激に離れる破裂音とか、狭いすきまを強引に息が通る擦過音とか、破裂と擦過が連続する破擦音とかであり、はっきり発音するには強い息が必要である。
 これに対して、日本語をはっきり発音しようとしても、英語ほど強い息は必要がない。これが、英語と日本語の発音が根底から違うところなのである。
 「声の張り上げ」、「喉の鳴らし過ぎ」を注意しはじめたら、それを直すには、強い息を口の動きにぶつけることが必要だという。

 個々の音は、生徒が間違えるたびにその場で直す。学校や塾では、それすらもやらないことが多い。これはまったくの手抜きであり、使えない日本の英語の再生産を繰り返すだけになる。現に多くの学校の教室がそういう場所になっている。個々の音を直すことすらやらないのだから、「声の張り上げ」、「喉の鳴らし過ぎ」を直し、発音の軸を喉から、「口の動き+息の勢い」に移行させることなどやっているところはない。しかし、これをやらないとはっきりした子音が作れず、日本人の英語は音だけに限っても、「わかりにくい」ことから抜けられない。
 個々の音以前に、あるいは個々の音を直すと同時進行で、喉から口(息)へ軸を移すことをやりはじめたら、生徒の数は急激に減った。
 日本人の英語の発音で最大の問題点をみつけたぞと思ってレッスンに取り入れたのだが、そんなところに肝心の問題があると思っている人はほとんど皆無であるということがわかった。日本の学校英語が、長いこと日本人をだましてきたのである。発音上の、英語と日本語の根底的な違いを言葉にすることをずっと放置してきたのである。学校の先生で、日本人の英語がはっきりしない原因が、喉に頼り過ぎることにあることを理解している人はほとんど皆無である。
 素読舎の英語発音法の開発における頂点がそこにある。開発の歴史においては頂点であるが、レッスンに取り入れた場合は、初めて英語をやる初心者にこそ必要なものである。学校英語が普通だと思ってしまった個人の英語学習歴が長いほど、フライパンの焦げ付きがひどい。たとえ話だが、新しい卵焼きを焼こうとしても、まずフライパンの焦げを落とすことから始めなければならなくなる。場合によっては、焦げを落とすだけで二年も三年もかかる。
 喉に頼る発音法を直す観点からすれば、あれもこれも、学校も塾も英会話学校も全部駄目である。以前は個々の音をちゃんと直すことすらしないことについて、あれもこれも全部駄目だと言ってきたが、喉に頼る発音(喉に軸がある発音)については、まったくの手付かずのまま放置されてきたのである。こんなことに口を酸っぱくしても、まったく無駄なのだろうかと思いながら、なおも口が酸っぱくなる。
 そんなことを言い続けなければならない理由は、素読舎が本当に作ろうとしているものが、英語力そのものというより、練習力だからだろう。練習力さえ本物なら、その後どれだけやるかは本人まかせでいい。音をいいかげんに扱った場合は、その練習力自体が育たなくなる。練習力も練習そのものも育たなくなる。
 まともな音で練習するのでなければ、本当は語学の練習とは言えない。
 そのことを本気で考える人があまりにも少なすぎる。