2014/11/27

長野県千曲市立Y中学、英語学年トップ、お祝いインタビュー、というか、素読舎塾長独演会というか

長野県千曲市立Y中学、英語学年トップ、お祝いインタビュー、というか、素読舎塾長独演会というか


根石  録音したものを後で編集して、言い足りなかったものをつけ加えたり、余計なものを削ったりするから、無駄話はどんどんしてもらっていいよ。
     はい(笑)
根石 何年から始めたんだっけ?
    小学5年です。
根石 5年のいつ?
    夏くらいです。
根石 素読舎を使ってもらうなら、小学5年からがベストだと言ってきたんだけど、その使い方をしてもらえたわけだ。今、中1だから、2年ちょっとかな。
    はい。
根石 俺がいつもこの部屋でやってる「入れ替え・変換」ていう練習で、「最近わかってきたんじゃないか?」って言ったことあったけど、覚えてる?
    はい。
根石 あれ、いつ頃だったか覚えてる? もう中学生になってた?
   はい。
根石 なってた?
   はい。
根石 ああ、そうか。中学生になってたんなら、俺がそう言ってから、半年くらいのうちに学年トップになったってことかな。
   はい。
根石 学年トップっていうのは、インタビューして記録したのもあるし、記録してないのもいっぱいある。途中から記録したんだけど、記録し始めてもそのまんまにしちゃったのもある。記録し始める前にも後にも、学年トップはいっぱいある。
 塾を始めてしばらくの間は、学校のテストで点が取りやすいような練習をしてたんだけど、そういう練習を最近はやってない。こういうことをやれば学校のテストで点が取れるってのはわかっているんだけど、やめちゃった。やめてから10年以上たつかな。
 昔はほんと、やたら学年トップが出た。H中、Y中、N中の3つくらいの中学でかわりばんこに誰かが学年トップになるみたいな感じだった。T中は昔からあんまり人が来てないけど、H,Y,Nの3つの中学ではしょっちゅう学年トップが出た。テストがあるたびに、毎回学年トップが出るみたいな感じだった。だけど、ああそう、ってだけで、学年トップなんて珍しくもなかったから、ちゃんと記録もしなかった。インタビューなんてこともしなかったのが多いから、記録はあんまり残ってないけど、もし中学に記録が残っていて、3つの中学のデータをつきあわせれば、毎回素読舎の生徒が学年トップじゃねえかよって時期がある。
 それは、素読舎が学校のテストで点を取らせるってことをやってた頃のことなんだ。
 最近は、そういうテストのための練習はやめちゃっている。点を取らせるにはどうすればいいかなんてことはわかっているんだけど、面白くないからやめちゃった。
 何が面白くないかというとね、テストのための練習をやっても、大学に受かると英語の練習をやめちゃう人が多いんだわ。そんで、大学出る頃には英語はすっかり錆び付いちゃってる。
 まあ、テストに有利な練習をやってた頃から、素読舎は音づくりはやってたわけ。それはもう最初から音は大事にしてた。文まるごとの音づくりで、他のどこでもやってないのは、音の足腰を鍛えるってことだな。だけど、これをやっても学校のテストの点にはならないわけだよ。
   はい。
根石 俺の言う通りやらない人もいるから全員がそうだってんじゃないけど、素読舎を使った人たちは、音ができてるというか、音の足腰が鍛えられてる人が多い。テストの点にはならなくても、音の足腰が鍛えてあることで、使える英語に結びついた人の数も一般の塾とは較べものにならないくらい多い。今でも、文まるごとで口がよく動くようにする練習はやってるだろ。
   はい。
根石 それは塾を始めた頃からずっとやってきてる。テストの点になってもならなくても、最初からやってた。学校のテストの点が取れるってことより、口の動きがしっかりしてるってことの方がずっと大事で、それが宝物だぜって俺は思っているけど、大学に受かって、その宝物を捨てちゃう人がいっぱいいたわけね。テストの点も取らせた、テストの点にならない宝物も持たせた。それなのに、大学に受かった程度で、ぽいっと捨てられちゃたまんねえなと思って、中学生や高校生の英語につきあうのがいやんなっちゃったってことがあるわけ。勝手にしやがれって思ってさ。
 その頃、インターネットが普及し始めたんで、スカイプっていうソフトが出回るまではIP電話っていうのを使って「電話でレッスン」ていうのを始めたわけ。次にスカイプが使えるようになって、「スカイプでレッスン」ていう名前に変えたんだけど、「電話でレッスン」を始めた頃は、生徒は大人だけだった。大学に受かった後だけじゃなくて、大人になっても英語を続けてる人を相手にして仕事をしてた時期がある。
 生徒のレベルはけっこう高くて、高校の先生で素読舎のレッスンを受けた人が今までに3人いる。
 屋代高校の先生が俺の生徒になっていたこともある。もう定年間際の人で、定年までの3年くらいレッスンした。
 この屋代高校の先生は、屋代高校の生徒が紹介してくれたんだ。高校生と話してて、屋代高校に発音に問題のある先生っていねえかねって、俺、その子に聞いたんだわ。そしたら、M先生は絶対に素読舎のレッスンを受けた方がいいってその子が言うわけ。電話番号わかるかって俺が言ったら、次に塾に来たとき電話番号メモして持ってきてくれて、そんで俺、その先生の家へ電話して、「うちの塾使っている生徒が、先生は素読舎のレッスン受けた方がいいって言うんですが、レッスン受けてもらえませんか」って、俺、言ったわけ。「スカイプでレッスンっていうのをやってるんで、高校の先生やってても、他の人と顔合わせなくてレッスン受けられますので」って言ったわけ。そしたら、一週間考えさせてくれっていうことになって、一週間後に向こうから電話があって、やらせて下さいってことだったからレッスン始めたんだ。
 この先生のことで一番覚えているのは、どもりになっちゃったことだな。どもりってわかる?
   ・・・・・
根石  「わわわ私はなな長野でわ渡辺さんと」っていうふうに同じ音が続いちゃう。
    ああ。
根石  その頃、田中康夫っていう人が長野県の県知事をやってたんだけど、この田中康夫っていうのは、英語大好き人間なんだ。俺は英語なんかあまり好きじゃない。語学という行為そのものは好きで、やったのがたまたま英語だったってことだから、英語が好きなわけじゃない。田中康夫は英語大好き人間。語学が好きなんじゃなくて、英語が好き。
  (笑)
根石  それで、長野県だけの話じゃないけど、学校の英語の先生のレベルが低すぎるっていうんで、田中康夫は、長野県立の高校の英語の先生たちが全員 TOEIC っていう試験を受けなきゃいけないっていうふうに決めたわけよ。屋代高校も長野県立高校だから、俺の生徒になってくれた先生も TOEIC を受けなきゃならなくなっちゃったわけだよ。
 レッスン始めて半年くらいたった時だったかな、その先生、どもりになっちゃった。田中康夫のせいだって、俺、すぐにわかった。田中康夫のせいだけじゃないけども。音をまともに扱わないで英語の先生をやってきたせいもあるんだけど。
 先生は、いきなり書店で売ってる TOEIC受験用のCD付きの本買ってきて、本気で練習始めたらしいんだけど、イメージや意味が動くスピードと、CDの音のスピードにギャップがありすぎたんだね。必死に自分のスピードをCDのスピードに合わせようとして、どもりになったんだって、話を聞いていてわかった。
 で、そのCD使うのすぐやめて下さいって、俺、言ったの。そのCD付きの本の活字の文を、自分の口を動かして繰り返し読んでくれって言った。とにかく、この素読舎のレッスンで身につけた口の動かし方で、なめらかに読めるようにしてくれと。CDは使わないでくれと。本当になめらかに読めるようになったら、今度はブツ切れに読んでくれと。必ずイメージが自分の中に生まれるスピードに合わせて音を動かしてくれと、俺、言ったんだ。自分の中に意味やイメージが動くスピードに、口の動きを従わせる。そうすると、慣れないうちは、読みがぶつぶつと切れる。それで構わないから、必ず意味やイメージが動くスピードに、口の動き、つまり音の動きを従わせるようにって言ったわけ。同じ文で繰り返しそれをやってると、だんだんなめらかに言えるようになる。つまり、自分の中でイメージが生じる動きが速くなっていく。少しずつスピードをあげて、相当なめらかに読んでも、ちゃんと意味やイメージが動くまで同じ文を繰り返し読んでくれって、言ったわけ。
 その先生は素直な人だったから、俺が言う通りに練習してくれたんだ。一ヶ月経たないうちにどもりはなおった。
 この先生は、高校の先生なのに素読舎のレッスン受けませんかって言ったら受けてくれたくらい素直な人なんだ。その話をすると、ほとんどの人が、「その先生偉いよ」って言うよ。その素直さで、意味やイメージのスピードに音を従わせるっていうことをやってくれたら、どもりはなおった。
 あれねえ、田中康夫が作ったどもりだ。そんで、俺が一ヶ月で直したどもりだ。
   (笑)
根石  高校の先生ではねえ、佐賀県の先生もレッスンを受けてくれた。この先生は、俺のレッスン受けてる途中で、英検1級を取った。もう一人の高校の先生は京都の人だけど、俺が書いた小学館文庫の「英語どんでんがえしのやっつけ方」っていう本読んで、俺んちまで泊まりに来て、何日か泊まっていった。この人はねえ、文法とかそういう方面が弱くて、授業中に生徒からいじめられたらしいんだ。
    (びっくり顔)
根石  生徒からいじめられて学校に行かなくなっちゃった。そんで、学校休んでいる間に、俺んちへ遊びに来てたんだ。
    (笑)
根石  その人は結局、学校の先生やめちゃったけどね。その人もどのくらいレッスン受けたかな。3年くらいは俺のレッスン受けてたかな。俺のレッスンやめた頃、先生もやめちゃった。英語の練習もやめちゃったかもしれない。その後、連絡くれないからそこがわかんないんだけど。この人の問題は、俺のレッスンでは解決しなかったな。
 ああ、もう一人いたな。
 篠ノ井の俊英高校の先生は、「スカイプでレッスン」でもなく通塾でもなくて、長野の「ゆいまーる」って喫茶店を借りてレッスンしていた頃に、生徒になってくれた。
 だから、4人かな。高校の先生にレッスンしたのは。今まで3人かと思っていた。
 塾の講師も4人くらいレッスンしたかな。英会話学校を経営してる人にもレッスンした。半年くらいで見違えるほど発音はよくなったけど、それにしても、それまでよくこんな発音で講師をやってたなと思ったぜ。いくら自分で経営してる学校だからって、これじゃ駄目でしょって思った。この人は、俺が英会話学校ってものは全然駄目だって何度か話したら、それに腹立ててやめちまった。
 それと、大学の先生にもレッスンした。大学だから、よその国から大学の先生とかが来るわけだ。その人たちはたいてい英語をしゃべるわけだ。俺の生徒になってくれた先生は、大学の構内で外国から来た人を見ると近づかないようにしてたわけ。
    (笑)
根石  この先生は、どうやったら英語ってものが話せるようになるのかわからなかったって言うんだ。俺のレッスンを受ける前に、英会話学校の個人レッスンっていうのも受けたけど、何の役にも立たなかったって言ってた。だけど、大学受験の勉強っていうのは、かなりやってあった人だから、文法とかそっちの方はよくわかってた。
 素読舎の掲示板の「大風呂敷」っていうところに記事を書いてくれてね、その記事は残ってる。掲示板には、Piggy って名前で書いてくれて、その記事は、俺が今作りかけてるホームページにも載ってる。
 突然、「大風呂敷」に記事を書いてくれて、イギリス人と半日ずっと話してたって書いてあったと思う。生まれて初めてのことだったとも書いてくれた。うまい下手はともかく、英語でやりとりができたってことだな。自分でびっくりしたって書いてある。
 この大学の先生は、今はレッスンを受けてないけども、多分、もう外国から来た人を避けてるってことはないと思う。
    (笑)
根石   しばらくの間は、社会人、大人の人を相手にレッスンしてたんだ。
 俺のレッスン枠が埋まっている時に申し込みがあると、今は小川さんていう奈良県の人に生徒を預かってもらってるけど、この小川さんも、もう10年以上も俺の生徒になって練習をしてきてくれた。
 この人は、俺のレッスンを受け始める前に、英検1級を持ってた人だ。京都新聞のカルチャースクールで英語を教えたり、英会話学校の講師をしたり、塾をやったりしてきた人だ。今は、素読舎のコーチをやってくれてる。
 そのうちに、「スカイプでレッスン」でも小学生や中学生の生徒が増えてきて、その人たちのための教材を作った。それが今、通塾の素読舎で使っている「abcd」っていう教材なんだ。今の通塾の方で使っている教材っていうのは、「スカイプでレッスン」用に作った教材なわけだ。
 「入れ替え・変換」っていう練習も、「スカイプでレッスン」をやりながら作った。社会人で英語の練習を続けている人にも、文法が感覚になっていない人がいっぱいいるとわかって作った練習方法だ。
 テストで点を取らせる練習はやめちゃったけど、それでも、最近また学年トップが出るようになってきてる。多分、「入れ替え・変換」ていうレッスンのせいだと思う。
 「スカイプでレッスン」の生徒では、横浜の中高一貫の学校の高校生や、福岡県の中学生、長野の佐久長聖高校の生徒なんかが学年トップになってる。どの子も何回か学年トップになってると思う。福岡の子にはインタビューするって言っておきながら、まだやってない。中学生のうちに一度はやらなくちゃいけないなと思っているんだけど。
 学校のテスト用の練習なんか何にもやらないけど、学年トップが出るようになってきてるわけだ。社会人用に開発した「入れ替え・変換」ていう練習が効いてきてるんだと思っている。
 塾を始めてすぐに学年トップの花ざかりみたいになった頃の学年トップと、最近の学年トップはちょっと違うなと思っているんだ。学校のテストなんか、もうこっちが相手にしていないのに、学年トップが出てきている。文法の感覚化の度合いが、昔の練習とは違うんだな。
 それから、佐久長聖の一年生が最近、英検準1級に受かってる。「大風呂敷」っていう掲示板で、コーチの小川さんに、高校1年で英検準1級ってのはかなりいいレベルなんでしょうかって質問したら、かなりどころじゃない、めちゃくちゃすごいですよっていう返事をもらった。小川さんから教わって、ネットに載ってる英検準1級の問題を見てみたけど、まあほとんどの高校生は歯が立たないような問題だ。大学出た人でも、歯が立たない人はいっぱいいるようなレベルの問題だ。
 佐久長聖で1年生は2人受けたそうだけど、俺の生徒だけが合格したって言ってた。学内のトップになってるかどうか聞いてないのでわかんないんだけど、多分学年トップの実力だと思う。
 今やってる「入れ替え・変換」ていう練習ね、これは、学校のテストに役に立たないことはない。役に立つ。だけど、学校のテストの「点を取らせるための練習」じゃない。社会人、つまり学校を全部卒業しちゃった人たちのために作った練習だから、元々学校のテストの点を取らせるためのものじゃない。だけど、この練習と教材で、また学年トップが出始めている。多分、あなたの場合もそうだ。
 同じ学年トップが出ても、昔と違うのは、文法を知識のままにしておかないっていうことが違う。知識としてわかってるっていうのが学校のテストで点を取るには大事なわけだけど、それだけだと駄目ですよっていうのが、「入れ替え・変換」っていう練習の元にある考えだ。
 be動詞と現在分詞が組み合わされると進行形ができて、「~しているところ」「~しているさいちゅう」っていうような意味になるっていうのは、知識だよ。学校のテストっていうのは、こういう知識だけ知ってるだけで点が取れたりするんだけど、それじゃ駄目なんだ。それじゃ駄目ですよっていう練習が「入れ替え・変換」なわけだ。知識が感覚にならないと駄目。「入れ替え・変換」は、知識を感覚に変えるための練習だな。
 素読舎は学校のテストに合わせる気はねえよってだけで、「入れ替え・変換」はテストにも十分役に立つ。テストに合わせる気はないけど、役に立つ。現に、あなたの場合も、「入れ替え・変換」の練習は、別にテストに合わせたわけじゃないけど、学年トップになっているわけだ。
    はい。
根石  まあ、「学校対応」っていうオプションを使ってもらえば、学校の進度に合わせるってことはやる。テストに合わせることはやらないけど、学校の進度にある程度は合わせる。だけど、これはあくまでもオプションだ。
 「学校対応」は、新しく生徒を紹介してくれた人に対するお礼としてやってる。商品にして金で売る気はない。
 「学校対応」を使う場合は、学校がやってる場所を教科書を開いてもらって調べて、例えば「ああ、不定詞だな」とかわかると、教材の中を検索機能を使って動き回って、不定詞を扱う「入れ替え・変換」をやる。まあ、英語ってのは、かなりごり押しが効くから、これがやれるんだけど。
 いくらごり押しが効くと言っても、「学校対応」は素読舎の練習を始めたばかりの頃は使えない。少なくても1年くらいは、「abcd」とか、「入れ替え・変換」の練習をしてからでないと使えないな。「学校対応」をやっても大丈夫だなと、俺が判断してからじゃないと使えない。
 まあしかし、素読舎は基本的には学校に合わせる気はない。やるとしたら、新しく塾生を紹介してもらえた場合のお礼としてだけ。
 学校のテストに合わせる気はないし、やりたくないけども、「学校対応」を使って、知識を感覚に変えるっていうことができないかっていうと、それはできる。俺は知識を感覚に変えられればそれでいい。ほんとは、学校のテストの点なんかどうでもいい。生徒がテストでいい点を取るのは全然かまわないけど、そのためにやる練習はもうやりたくない。俺は、知識を感覚に変えられれば、ちゃんと仕事してるんだと思うことにした。知識を感覚に変えるっていう言い方でわかるかなあ?
    どう言えばいいんだろう。自動的に・・・
根石  うんうん。自動的にだな。何かのセンスみたいなものが動くんだよ。口が動くってことと、文法が感覚として動くってことが、結びついてないと駄目なんだ。結びつくと、自動的な反応が生じる。別々だと駄目だよ。だけど、最初は別々だよ。最初は知識は知識、口の動きは口の動きとして別々に練習する。その二つが結びつくと、感覚が生まれる。
 あなたの場合も、その感覚が少しできてきたと思ったから、「最近わかってきたんじゃねえか」って、俺、言ったんだよ。それは知識としてわかってるっていうレベルを抜け出し始めてるレベルだな。
 学校のテストについては、どういうふうな練習してた? 素読舎ではテスト対策っていうのはやらないわけだけど。
    学校でワークがあるんですけど。
根石  ワークっていうのは宿題みたいなもんかい?
    なんか、問題集のようなもので。
根石  問題集?
    はい。
根石  授業で使うの? 宿題みたいに使うの?
    宿題みたいに、
根石  使うわけね。
    はい。
根石  じゃあ、簡単に言っちゃえば、問題集を解くってことをやってたってわけ?
    そうです。
根石  まあ、しかし、それは他の人もやってるわけだから、消化力が強いってことだろうな。それは、文法が感覚になりかけてきてるってこととつながってるな。教科書を声出して読むってことはやらない?
    やりません。
根石  この塾で、せっかく口がまともに動くようにしてるんだから、その動きを使って、教科書をがんがん読めばいいじゃん。音のレベルを崩しちゃうと駄目だけどね。家で一人でやると、レッスンでせっかく作った音のレベル、口の動きのレベルを崩しちゃう人が多いんだよ。口の動きを小さくして、ぼそぼそと力の抜けた音にしちゃう。それだと駄目だけどね。俺が、この部屋でいつも要求してるレベルの口の動きってあるじゃん?
    はい。
根石  そのレベルで教科書をがんがん読んじゃう。教科書に載ってる文の量なんて大した量じゃないよ。いったんよく口が動くようにしちゃえば、教科書の初めから終わりまで声に出して読んだって、1時間もあれば読めちゃうんじゃないか。
    読めますね。
根石  二日で一冊読むようにしたら、一日分は30分。それを毎日やってみな。力ついちゃうぜ。365日やったら、180回以上読むことになるんだからな。一日に一冊読むようにしたら、同じ教科書を360回以上読むんだからな。それとね、さっきの屋代高校の先生の話でも出てきたけど、イメージが動くスピードてものに自覚的になってもらいたい。
 中学1年生なら、単語だけで練習するんでいい。「単語を覚える」っていう言い方があるけど、それにもいろんなレベルがあるんだ。英単語を聞いたり見たりすると、いちいち日本語の単語を思い浮かべないと駄目な人っていうのがいるわけ。そういう人の方が圧倒的に多い。それだと使えない英語ができちゃう。音を聞いたり、文字を見たりしたら、自分の中にイメージが動いてるっていうレベルにしないと使える英語ができない。ほとんど同時だよ。同時としか感じられないっていうレベル。
 単語だけ相手にする場面で、音とイメージ、文字とイメージが同時だと感じるレベルにならないと、文がイメージになるわけがない。
 最初は意味やイメージが伴わなくて、文の音だけを完成させちゃうっていうやり方は、それはそれでいい。だけど、どこかで、一つ一つの単語のイメージと音、イメージと文字が同時に動くような練習は絶対にやらなくちゃ駄目だ。
 イメージと音、イメージと文字が同時になるような練習は、「言いながら、書きながら、思う」っていう名前の練習だ。
 「言いながら」って時に、口の動きは「書きながら」のスピードに従う。言うことより、書くことの方がスピードが遅いってことをうまく利用するわけだな。スピードが遅いのを利用して、その分、イメージをくっきりさせる。この場合は、音がゆっくりになるとか、間延びするとか、途切れるとかは気にしなくていい。「書きながら」については、一番参考になるのは、そろばんが上手な人の指の動きって、「abcd」の教材の最初に書いてあるけど、読んだことある?
    聞いたことはあります。
根石  読んだことない?
    ないです。
根石  あ、そう。どういうことかって言うと、そろばんの上手な人っていうのは、何も考えなくても指が動くわけ。次は中指だとか人差し指だとか、そんなことは全然意識することはない。指をどう動かすかについては何も考えてない。反射的に指が動くようになっちゃってる。それと同じだよ。そろばんの上手な人の指が勝手に動くと同じように、手首というか手が勝手に動いて英語の単語が書けるってレベルになるまで繰り返し書くってだけのこと。これがコツ。「言いながら書きながら」についてはいい?
    はい。
根石  「言いながら書きながら思う」っていう場合の「思う」が難しいんだけど、いきなりできる人はいきなりできる。できない人は説明すればするほどわけがわからなくなったりする。それは何なのかな。才能の質の違いかな。この違いについては、よくわからない。
 語学で「思う」っていうときの「思う」は、この単語は「こういう感じだよ」って感じること。こういう感じっていうのがうんと大事なの。単語によっては、「こういうことだよ」っていうのをつかむ。つかんでるものや感じてるものを、手の動きや口の動きと合体させるわけ。それを全部やるのが、「言いながら書きながら思う」。
    (うなずく)
根石   これは人によって、いいレベルの練習をする人もいれば、レベルを崩していいかげんにやる人もいる。だけど、ちゃんとやれば、これは間違いなく力がつく。これはちゃんとやれば、初心者から上級者まで、誰にでも役にたつ。さっき、教科書を声に出してどんどん読めよって言ったじゃん。
    はい。
根石  それでいくら読んでも、よくわかんねえなってところがあったら、そのあたりにあるよくわかんねえ単語を辞書でひいて、辞書の説明からその単語のイメージを取り出す。それで、「言いながら書きながら思う」ってことをやる。がんがん声に出して教科書一冊読んじゃうっていう練習と、「言いながら書きながら思う」っていう練習は、そうやって組み合わせられる。
K    はい。
根石  英語が使えるようになるかならないかを決める一番肝心なことはそれだぜ。それをやらないと、音を聞いたらすぐイメージが動く、単語を目で見たらすぐイメージになるってことは、日本に住んでる限りはまず起こらない。
 瞬間的にというか反射的にイメージになるかならねえかだよ。
 で、これから先は、それやってみてくんねえかな。
    はい。
根石  テストは何だっけ。期末? 中間?
    中間です。
根石  Y中学1年の、二学期中間。
    はい。
根石  これを最初に話してもらっとけばよかったな。自分が学年トップだってわかったのは、百点満点だったから?
    はい。
根石  最近の学校は、誰がトップだとかわからないようにしてるしさ、百点とらねえとトップかどうかわかんねえ。百点てのは、中学1年生の一学期だったら珍しくねえんだ。何人もいたでしょ?
K    はい。一学期は学年全体で10人くらいいました。
根石  一学年に何人いるの?
    150人くらいかな。
根石  え、そんな少ねえんか? Y中学で150人しかいない?
    そうです。
根石  昔のH中学と同じじゃん。ふうん。150人しかいねえんだ?
    はい。
根石  ちょっとびっくりだな。ふうん。で、一学期の中間で、学年に百点が10人くらいいたってのね?
    はい。
根石  今はそんなにいないでしょ?
    3人いれば多い方です。
根石  うん。で、2年生の今頃になって、百点取ればおそらく一人だけの学年トップだと思う。あるいは、学年トップでも百点にはならない。で、今でも平均点てのは出るの?
    出ますよ。
根石  二学期の中間で何点くらい?
    70から80・・・
根石  70から80の間くらいか。まだ高いね。これがねえ、学校にもよるけどねえ、2年の終わりから3年になると、平均点で40点くらいになるとこがいっぱいあるな。君はこの高校を受けろって、生徒を振り分ける時に、平均点を落として振り分け易くしてるんだ。今の平均点の半分くらいになる。その頃だよ。その頃に強ければ、力がついたってことだよ。
 塾でやる練習は大事だけどさ、これからは、教科書でいいからどんどん口を動かして読むってことと、「言いながら書きながら思う」っていう練習でイメージを瞬間化するっていうことだな。この二つをやってもらいたい。自分でやる練習が大事になる。いい?
    はい。
根石  単語単位でちゃんとイメージと連結しとかねえと、さっきの屋代高校の先生じゃねえけどさ、どもりになっちゃうとか、とてもじゃねえけど、このCDのスピードに追いつきませんってことになっちゃう。だって、単語レベルで肝心なことをやってねえんだから。
    はい。
根石  単語レベルでやってねえのに、文でできるわけねえじゃん。相手が怒ってるのか喜んでるのかは顔見ててもわかるけど、文の言ってることをちゃんとつかんで、文で話すってことができるわけねえじゃん。
    (うなずく)
根石  中学の間は、単語レベルでやるんで十分だと思う。ただし、質のいい練習をすること。つまり、しっかりとイメージを作ることだな。
    はい。
根石  後は、何の話があるかな。何となくこんな話しようとか思ってなかった?
    いや。(笑声)
根石  だいたいインタビューのことは忘れてたんだろう?
    違います。
根石  今日やるって覚えてた?
    はい。
根石  そりゃよかった。忘れられたなと思ったから電話して呼び出したんだ。ああ、そうだ。ねえちゃんの話するか、ねえちゃんの。
    (笑)
根石  ねえちゃんは学年トップになったことあるって言ったんだっけ、ねえって言ったんだっけ?
    ああ、あります。
根石  英語でだね?
    はい。
根石  何年の時?
    1年の一学期です。
根石  ああ、1年の一学期か。それだけ?
    聞いた限りではそれだけです。
根石  じゃあ、2年くらいの時、全科目で学年トップなったのか?
    クラスで総合1位。
根石  ああ、クラスでか。そうかそうか。うーんと、じゃあ、今日はこれだけにしとくか。何か言っときてえことねえ?
    いえ(笑)
根石  ない?
    はい。
根石  じゃあ、ありがとね。
    はい。

(2014年11月)