2019/11/27

あいうえおフォニックス

...「あいうえおフォニックス」

 r 音はくせものである。
 r 音の舌の位置は、純然たる子音の場合は、舌が喉のほうに引っ張られるが、母音と溶け合った音では喉のほうに引っ張られることはなく、舌が口の中で持ち上がるだけである。後者では、舌が口の中で持ち上がって、「狭い音」の狭さを作る。
 r 音は普通、子音だとされているが、 [逆さe] と溶け合って、日本人の耳には「アー」と聞こえる。その音は英語にはしょっちゅう現れる。だから、この音を間違えていると、しょっちゅう間違えて英語を口にしていることになる。
 [逆さe] と溶け合って「アー」と聞こえる音を、日本語の「アー」で発音すると誤解されたり、通じなかったりする。英語ネイティヴの人の中には、この日本語の「アー」で代用させる発音にはっきりといらつきを見せる人もいる。例えば、curd と card が同じ発音になってしまうからだ。
 信州中野に世話をしてくださる人がいて、小学生を集めるから英語の教室をやってほしいと言われ、村の神社の社寮という建物をお借りし、週に一回、数年通ったことがある。
 girl, birthday の ir やら、Thursday, turn の ur やら、子供たちはみな、日本語の「アー」で言ってしまう。certain の er なんかもそうだ。word, world なんかもそうだと、この順番に語を思い浮かべたわけではないが、「これ、みんな、『母音+r』 だ」と思った。しかし、party, art などの ar は「母音+r」だが、まったく違う音、「顎の下がる明るいアー」になる。
 しかし待てよ、と思った。dollar の ar にはアクセントがない。アクセントの有無で、ar が分類できるのではないか。アクセントのない ar は、ir, ur, er, or の仲間になると分類できるのではないか。
 アクセントのある ar は別格であり、まったく違う音になる。「顎の下がる明るいアー」。
 ar をアクセントの有無で分類し、ear も ea で一つの母音と考え「母音+r」の仲間とする。そうすれば、例外のほとんどない法則ができてしまうではないか!!!

 英語音声学の学者が何を言うのかは知らない。
 どうせ彼らはアメリカの音声学の真似事しかしていない。
 日本語で育った口の動きを元に自前で何かを作ったことなどありはしないのだ。
 アメリカの音声学の真似事を大学の英語教員養成過程なんかで講義したところで、日本語で育った人向けのコーチ法になるわけがない。

 「あいうえおフォニックス」は、日本の神社に付属する建物で生まれたものである。
 早速、レッスンで使ってみた。これは役に立つとすぐにわかった。生徒たちには、「例外があるかもしれないから、一応辞書で確認した方がいい」と言うが、今のところ、中学生や高校生が目にする単語で、見つかった例外は heart くらいである。大学生でもほとんどの人が知らない単語で、hearth くらいである。辞書を引く前に見当をつけて引いてみれば、ほとんどがドンピシャと当たる。

 ただし、この法則が当てはまるのは、「母音+r」が、日本人の耳に「アー」と聞こえるものに関してであるという前提がある。

 order, corner などの or を持ち出して、「母音+r」だが [逆さe] の延びた音ではないではないかと言った人がいた。「あいうえおフォニックス」は、「母音+r」が、日本人の耳に「アー」と聞こえるものに関する法則だと何度言っても、頭が混乱していたせいか、承知できないと言った。
 order, corner の or はあんたの耳にだって 「アー」と聞こえるわけじゃないだろ? どうしたって「オー」と聞こえるだろ? 俺が言ってる法則は「アー」と聞こえるものに関するものなんだ。それはどの生徒にも最初に断って使っている。word, work, world の or は「アー」と聞こえるだろうと言ったら黙ってしまった。
 なにがなんでも、私がみつけた法則にケチをつけたかったらしい。

 ここのところを「交通整理」した人がいなかったせいで、これまで日本人は英語の「ア系列」の音にどれほど苦しめられてきたかわからない。通じないことや誤解を招くことで苦しめられたのだ。

 この法則は、誰にも公開されているが、使うときは一応、根石吉久という人がみつけたものだとクレジットを添えて欲しいと思うので、今日の日付を書き添える。2019/11/27。この日付以後に、「あいうえおフォニックス」と同じことを人に教えた場合は、その人が自分でみつけた法則ではない。

 [逆さe](とその延びた音)、「一瞬般若」、「顎の下がる明るいアー」の3つを言い分けられるようになり、th, f, r, l などいくつかの子音を日本語の類似音でなく言えれば、日本人の英語の音は、インドやタイなどの町で拾った英語音よりずっといい音になる。それをわきまえなければ、インド・タイ以下になりかねない。

 それとは別に、表面的にネイティヴを真似た「それっぽい音」は、実は英語ネイティヴの人たちは軽蔑していることが多い。

 レッスンでは、綴りの中の「母音+r」に普段から注目するように言う。
 ear も「母音+r」だと伝える。
 ar だけは気をつけるように。アクセントがあるのとないのとでは大違い、と言う。
 アクセントのある ar は「顎の下がる明るいアー」。アクセントがなければ、ir, ur, er, or, ear などの仲間で、「狭いアー」つまり、[逆さe] の延びた音、と言う。

 綴りの中の「母音+r」に普段から注目させ、かなり慣れてきた生徒に「あいうえおフォニックス」を伝える。これを伝える場合は生徒にすんなり了解できるようにするための順序があるが、それはここに書かない。実際のレッスンによって、練習の厚みができた時にだけ有効になるものだからである。
 これまで、その順序まで含めてあちこちに書いたが、「母音+r」で音を間違える人だらけの日本の英語状況なのに、まともに受け取ろうとする人がほとんどいなかった。(英語の教員たちはアキメクラばっかしなのか?)
 その音が違うとはっきり言うレッスンと、自分を開き新しい知識を身体化する生徒がいる場所でなければ、知識は知識のままにとどまってしまう。そればかりではない。まともな練習の厚みがない人には、知識が混乱を招くということもある。だから、レッスンを受けてくれる人にだけ「その順序」で伝えることにした。
 この「あいうえおフォニックス」を自在に駆使できるようになれば、日本人の英語音はまるで違ったもの(通用するもの)になるのは、これまでの生徒の音の変化で立証されている。説明の順序は練習の厚みができた生徒とコーチをする人以外には意味がない。

 生徒の中に、大学の先生の奥さんがいて、旦那さんがアメリカで昆虫の研究をするので
、アメリカに数年暮らした人がいた。日本に帰ってきて、ある日電車の中でアメリカ人に話しかけられ、降りる予定の駅はいくつめの駅かと聞かれた後、少し他の話もしたと言っていた。そのアメリカ人は、「あなたの英語の音は非常にいい。これまで日本人と話しても、変な音の人ばかりだったが、あなたの音はいい。アメリカ人に習ったのか」と言った。私の生徒は、「いいえ。日本に暮らしている日本人の先生に習いました」と言ったら、アメリカ人は目を丸くして驚いていたそうだ。この生徒の音が大きく変わったところには、「あいうえおフォニックス」が働いたのだ。小川住江さんの言う「磁場帰り」の人にも、「あいうえおフォニックス」が眼目だったのである。

 余談だが、この生徒は文学が好きで、アメリカにいる間アメリカの現代文学をペーパーバックスで読みまくったそうだ。視線の方向を逆もどりさせず、左から右へ動かすだけで、どんどん読んだそうだ。それを可能にしたのは「磁場」の作用であるが、日本に帰ってきて英語の「磁場」を失ったら、一年後には、視線が英文をたどる方向を逆もどりさせないと読めなくなっていたと言っていた。
 私のレッスンを受け始めて、一年以上経った頃、「根石さん、私、アメリカにいた頃と同じように読めるようになってるよ。不思議だね」と言った。
 西友に行くと、「みなさまのお墨付き」と印刷してある商品が売っているが、私のレッスンは、「アメリカ人のお墨付き」であり、「磁場帰り」の人からは、「不思議だね」と思われるものなのである。日本の神社育ちの英語教育法だからなのか。

 「あいうえおフォニックス」について記事に書くことというのは、所詮、知識の羅列にすぎない。それでも、もしかすれば役に立てる人がいるかもしれないと思い掲載する。

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